
父に続いて我が娘的猫ちょぴも亡くなりました。2025年4月19日。17歳と5か月でした。
うちのLSの古参であればこのLSのトップ画像見覚えあるかもしれないですね。2017年当時のうちの娘です。
母の不倫をきっかけに弟と母は去っていき、父はダメ人間を演じてた時、12月14日駐輪場でか細く鳴いている元気な毛玉を見つけ、手のひらにのっけたらすごく安心して気づいたらうちにもって帰ってました。
お風呂場に離したら誰も教えてないのにミルクを飲み、トイレもしてくれました。フローリングの上をカシャカシャ音立てながら走ってく様を見て今は亡き父がちょぴと名付けました。
子猫のよく切れる爪で体中を傷だらけにされましたがそんな全力さと愛らしさが父と私に勇気と希望を与えてくれました。
こっそり家を飛び出して鳥を追いかけてすごいところに落ちて絶体絶命になったり、照明のひもで全力で遊びすぎて首が絞まったり放っておけない子でもありました。家の中ではキャッチボールを覚えてぶら下がってるボールを器用にとって、ボールを返球するっていう遊びをしていました。
引っ越しの時キャットゲージに入れて引っ越し先に連れて行こうとしたら大暴れしてキャットゲージ破壊して脱出してきたので抱えて運び。引っ越し先についた瞬間、落ち着き払ってとことこと歩いて行き、朝起きるとコタツから頭を出して寝息を立てて寝てました。人間かよ!みたいな。
その後も父との生活のズレで今の引っ越し先にちょぴと2人で一緒に行った時、怒ったり不安な事があるとすぐ台所下の人の手が届かない場所に避難して大慌てさせたり、なかなか目が離せない子でした。
性格はとにかく甘えんぼで名前を呼ばれるのじっと待ってこっちを見て、名前を呼ばれるのをじっとまってました。表情も豊かで喜んでる時や落ち込んでるとき、寂しい時や驚いてる時その表情の変化を見るたびにお前ホントにかわいいなってぐしゃぐしゃに頭撫でてやって。こっちが喉を腫らして2週間入院して帰ってきたときすごい喜んだ顔で、まるでこっちを偉人の帰りを見てるようだと父と笑いました。
父が死んで3ヵ月後。朝はいってらっしゃいとにゃあといつもの挨拶を交わしたのだけど、帰ってきたら酷く怯えた状態で急にご飯を食べなくなりました。いつものように頭を撫でてやっても時折爪かけたり噛みついてきたりしました。賢い子だから父がいなくなって不安になったのかな?と思って少し様子を見たり、ウェットフードを温めたり、大好物を取り出したり色々してほんの少しかじる時もあったけど一切の食をとらなくなりました。
病院に連れてくと末期の腎臓病で今まで食欲があった方が不思議との事でした。それでも食事を与えてたらよくなるだろうとシリンジで餌を与えたら吐き出さずかんばって食べてくれたが、
4月17日木曜日、家に帰ってシリンジで餌を与えて、体をホットタオルで拭いてやると安心した顔をしてコトンと倒れどんどん体調を崩していきました。心配になって病院につれてくと病院ついた時点で意識不明の重体。無理やり点滴をしてもらいその日は帰ることに。金曜日、奇跡的に意識が復活したけど目が見えないのか体の反応が鈍かった。もうこれで最後にしようと最後の点滴をお願いして看取る事をお医者さんに告げました。ちょぴの体は痙攣してそれでもまだ生きようとしていました。「お前が生きたがってるんならどこまででも付き合うぞって言ってやれなくてごめんな。お前が苦しむのも耐えられない。今日の点滴だって俺のエゴだごめんな。」涙がずっと止まらなかった。その日の午後弟が来て最後の挨拶をしに来てくれた。ちょぴは安心そうな顔を浮かべて手のぬくもりを受けた。死んだ後の処理や方向について話し合い保冷材や体を包むタオルも頂いた。弟は、「また来るよ。ちょぴ。」と帰り際に挨拶していった。帰った後はちょぴに今までの話を沢山泣いて、沢山話しかけた。最期に寝るときはベッドで体を密着させて一緒に寝た。
4月19日6時50分虫のしらせに目を開いて、体を抱き上げようとしたら首が何の抵抗もなく下に落ちた。動揺したけど、「おつかれさま。ちょぴ。」と話しかけた。昨日、一昨日と沢山泣いたからか思ったよりは泣くことはなかったけど、その日のうちに話を聞いてかけつけた友達が腎臓が悪いとこういう行動でるかもね。という話をした時、あいつは辛いのに辛いなんて一言も言えず独りで死の恐怖と戦ってたんだなと思うと悲しくて、悲しくてその時大きく泣いてしまった。ごめんよ。辛かったね。𠮟りつけてごめん。なんで俺は俺の気持ちばっかでお前の気持ちを考えてやらなかったのか。辛かったよね。ごめんね。と泣いた。
ちょぴは武蔵村山の地で他のペットたちと共に眠る。
今まで沢山の思い出をありがとう。願わくば幸せでありますように。

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